2008年 06月 02日
出席番号101 |
日曜日は東京歯科大学の同級生が教授に就任したのでお祝いに上京しました。3年ぶりに同級生が集るということで仲の良かった在京のメンバーを中心に前夜祭です。さすがに卒後23年になると容姿、風貌も様変わりです。居酒屋での一次会でしたが、年齢不詳、職業不詳のこの集団は何の集りに見えたでしょうか?
二次会は銀座、といっても8丁目なのでほぼ新橋ですが学生時代によく通っていた「CANDY」という店へいきました。この店ははじめ新宿東口にありましたが、昭和56年頃に銀座店ができてから足繁く飲みに行きました。当時サントリーホワイトが店頭価格1300円でしたが、ボトルキープが3900円と学生の身分にしてみればやや高い価格でしたが、ビルの8階から足元を走る新幹線や夜景を見ながら東京を感じたものです。
キープしたボトルは勝手に名前をつけるのですが、やはり同級生で広島県府中市上下町で開業している田中宣夫君の出席番号「101」番でした。
あれから四半世紀が過ぎましたが、誰かがこの店で飲み上げる度に補充してくれています。25年以上も同じ店に同じ名前でボトルがキープされているのです。
二次会は銀座、といっても8丁目なのでほぼ新橋ですが学生時代によく通っていた「CANDY」という店へいきました。この店ははじめ新宿東口にありましたが、昭和56年頃に銀座店ができてから足繁く飲みに行きました。当時サントリーホワイトが店頭価格1300円でしたが、ボトルキープが3900円と学生の身分にしてみればやや高い価格でしたが、ビルの8階から足元を走る新幹線や夜景を見ながら東京を感じたものです。
キープしたボトルは勝手に名前をつけるのですが、やはり同級生で広島県府中市上下町で開業している田中宣夫君の出席番号「101」番でした。
あれから四半世紀が過ぎましたが、誰かがこの店で飲み上げる度に補充してくれています。25年以上も同じ店に同じ名前でボトルがキープされているのです。
by matsudas1933
| 2008-06-02 08:39
| 人物