2013年 12月 18日
ノンクラスプは嫌いだ〜その3〜 |
パーシャルデンチャーに求められるのはSupport>Bracing>Retentionと書きましたが、私が大学を卒業した昭和60年(1985年)頃にはまだそれが大きな声で叫ばれることはなかったと思います。スタディグループを中心とした一部の臨床家やその影響を受けた補綴の医局員の方々はすでにリジッドな義歯を目標とされていたでしょうが、少なくとも学生教育の中ではこの辺りは曖昧な扱いであったと思います。
自分で歯科学報などの古い論文を紐解いたわけではないのでやや無責任かもしれませんが、戦後の歯科教育では「緩圧」の考えが主流だったはずです。京橋でご開業のK先生がセミナー等でだされるこの書籍は1971年刊行で当時のそうそうたる教授陣が義歯の設計を描いていらっしゃいますが、いずれもストレスブレーカーなる緩圧機構が維持装置のみならずメジャーコネクターに至るまで多用されたものばかりです。しかしながら義歯の支台歯と床の間にスプリング等の緩圧アタッチメントを設けて、支台歯への負担を回避した義歯は結局痛くて噛めないといったことから消えていきます。いまではアタッチメントというとリジッドなものを示しますが、当時のアタッチメントとは明らかにちがいますので区別して考えることが必要です。
自分の学生時代にはすでにI バーシステムなるものも聞き及んでいましたが、現在の様にクラトビル型ではなく、クロール型のI バーを踏襲したMIPクラスプなるものでした。同じI バーを用いたシステムですが、クロールの考え方は隣接面板に緩圧の考えが残っており、クラトビル型とは似ても異なるものです。おそらく当時の補綴学の教授も緩圧から急にリジッドに大きく舵をとることには躊躇われたのだと思います。
さて、ここで「リジッドサポート」という表現ですが、これは当時東京医科歯科大学に勤務されていた後藤忠正先生の造語です。1975年の「Konuskronen-Teleskopeによる部分床義歯の臨床」という補綴学会での発表で使われたものと思われます。意味合い的には緩圧の反対語となるので「非緩圧」でもよかったのでしょうが、当時主流であった緩圧を否定する語感や非という字がネガティブなイメージがあるのでわざとカタカナ(英字)表現をされたのかもしれません。これはあくまで私の推測にすぎませんが…。その後1985年に東京歯科大学の関根教授が「リジッドコネクティング」という表現を推奨されていますが、近年はどちらも同じ意味で使われているように感じます。
さて、リジッドな義歯の代表格であるコーヌスクローネですが、日本での普及にはいくつかのグループ(ルート)があったと思います。一つは金子先生が主宰される火曜会によるものでしょう。黒田昌彦先生も自身の「コーヌスクローネ」のなかで金子先生がバンド冠を用いて二重冠を作製されていたのに驚いたと書いておられるので、それ以前から緩圧の考え方には懐疑的であり、ケルバーらドイツの補綴家の症例集などの影響を受けて独学的にコーヌスに取り組まれていたことがわかります。一方で前述の後藤忠正先生もコーヌスの書籍を上梓されています。私は1990年に執筆された「クラスピング」以降の書籍しか所有していませんが、クラスプでもサポートを重視した設計を研究されており、リジッドサポートを目指していたのがわかります。余談ですが、後藤先生は東京歯科大学のご出身で、黒田昌彦先生、宮地建夫先生と同級生になられるので、当時は盛んにこの辺りの情報交換もあったでしょう。(これも推測に過ぎませんが…)
一方で昭和大学の芝先生や日本歯科大学の稲葉先生らもコーヌスクローネに取り組んでいらっしゃいます。私はお二方の書物は拝読していません。芝先生のお話は10年以上前に日歯生涯研修セミナーで拝聴したことがありますが、どちらかというと義歯の支台装置としてのコーヌスに研究の主眼が置かれ、本質的な欠損歯列に対しての考察はあまりないように感じました。黒田先生の義歯のデザイン、特にマイナーコネクターの在り方への否定的な意見には驚きましたので、同じコーヌスでもまったく別ものと考えた方が良さそうです。
いずれにしても1970年代後半から80年代中頃にかけては局部義歯に関する研究や臨床が最も華やかであったことが伺えます。緩圧からリジッドへの流れになったことやこの時期だけでコーヌスに関する書籍が4冊も出版されていることから当時の活発だった様子が容易に想像できます。
以上のように1970年代以降に臨床家や大学で重ねられた研究、報告によって緩圧VSリジッドは完全に決着がついているものと思われます。
確かに技術の進歩によって軟性の義歯床用材料は改善されたかもしれませんが、軟らかい義歯床によって咬合圧を緩衝するというコンセプトのノンクラスプ義歯は私には一気に40年前まで時計の針を巻き戻すタイムマシンにしか見えません。
自分で歯科学報などの古い論文を紐解いたわけではないのでやや無責任かもしれませんが、戦後の歯科教育では「緩圧」の考えが主流だったはずです。京橋でご開業のK先生がセミナー等でだされるこの書籍は1971年刊行で当時のそうそうたる教授陣が義歯の設計を描いていらっしゃいますが、いずれもストレスブレーカーなる緩圧機構が維持装置のみならずメジャーコネクターに至るまで多用されたものばかりです。しかしながら義歯の支台歯と床の間にスプリング等の緩圧アタッチメントを設けて、支台歯への負担を回避した義歯は結局痛くて噛めないといったことから消えていきます。いまではアタッチメントというとリジッドなものを示しますが、当時のアタッチメントとは明らかにちがいますので区別して考えることが必要です。
自分の学生時代にはすでにI バーシステムなるものも聞き及んでいましたが、現在の様にクラトビル型ではなく、クロール型のI バーを踏襲したMIPクラスプなるものでした。同じI バーを用いたシステムですが、クロールの考え方は隣接面板に緩圧の考えが残っており、クラトビル型とは似ても異なるものです。おそらく当時の補綴学の教授も緩圧から急にリジッドに大きく舵をとることには躊躇われたのだと思います。
さて、ここで「リジッドサポート」という表現ですが、これは当時東京医科歯科大学に勤務されていた後藤忠正先生の造語です。1975年の「Konuskronen-Teleskopeによる部分床義歯の臨床」という補綴学会での発表で使われたものと思われます。意味合い的には緩圧の反対語となるので「非緩圧」でもよかったのでしょうが、当時主流であった緩圧を否定する語感や非という字がネガティブなイメージがあるのでわざとカタカナ(英字)表現をされたのかもしれません。これはあくまで私の推測にすぎませんが…。その後1985年に東京歯科大学の関根教授が「リジッドコネクティング」という表現を推奨されていますが、近年はどちらも同じ意味で使われているように感じます。
さて、リジッドな義歯の代表格であるコーヌスクローネですが、日本での普及にはいくつかのグループ(ルート)があったと思います。一つは金子先生が主宰される火曜会によるものでしょう。黒田昌彦先生も自身の「コーヌスクローネ」のなかで金子先生がバンド冠を用いて二重冠を作製されていたのに驚いたと書いておられるので、それ以前から緩圧の考え方には懐疑的であり、ケルバーらドイツの補綴家の症例集などの影響を受けて独学的にコーヌスに取り組まれていたことがわかります。一方で前述の後藤忠正先生もコーヌスの書籍を上梓されています。私は1990年に執筆された「クラスピング」以降の書籍しか所有していませんが、クラスプでもサポートを重視した設計を研究されており、リジッドサポートを目指していたのがわかります。余談ですが、後藤先生は東京歯科大学のご出身で、黒田昌彦先生、宮地建夫先生と同級生になられるので、当時は盛んにこの辺りの情報交換もあったでしょう。(これも推測に過ぎませんが…)
一方で昭和大学の芝先生や日本歯科大学の稲葉先生らもコーヌスクローネに取り組んでいらっしゃいます。私はお二方の書物は拝読していません。芝先生のお話は10年以上前に日歯生涯研修セミナーで拝聴したことがありますが、どちらかというと義歯の支台装置としてのコーヌスに研究の主眼が置かれ、本質的な欠損歯列に対しての考察はあまりないように感じました。黒田先生の義歯のデザイン、特にマイナーコネクターの在り方への否定的な意見には驚きましたので、同じコーヌスでもまったく別ものと考えた方が良さそうです。
いずれにしても1970年代後半から80年代中頃にかけては局部義歯に関する研究や臨床が最も華やかであったことが伺えます。緩圧からリジッドへの流れになったことやこの時期だけでコーヌスに関する書籍が4冊も出版されていることから当時の活発だった様子が容易に想像できます。
以上のように1970年代以降に臨床家や大学で重ねられた研究、報告によって緩圧VSリジッドは完全に決着がついているものと思われます。
確かに技術の進歩によって軟性の義歯床用材料は改善されたかもしれませんが、軟らかい義歯床によって咬合圧を緩衝するというコンセプトのノンクラスプ義歯は私には一気に40年前まで時計の針を巻き戻すタイムマシンにしか見えません。

by matsudas1933
| 2013-12-18 19:53
| 歯科臨床