2011年 12月 25日
行く年来る年 第一話 |
ふと気がつけば今年もあと数日となりました。自分でもいい加減食べ物ネタにも飽きてきましたが、かといって目利きのブログ読者諸兄に有益な臨床の話題なんてそうそうあるわけでもありません。そこで年末にかけて「行く年来る年 松田version」を3回ほどに分けてアップすることとしました。
今日は第一話ですが、何と言っても東日本大震災のことです。
5月末から6月にかけて一週間宮城県へボランティアに行きました。日本歯科医師会からの身元不明者の検視要請に応じての派遣でした。すでに三カ月近くが経過していたので、散々テレビや新聞で被災地の光景は見ていたはずでしたが、その場に立ってみると棒で頭を殴られたように思考は停止しました。従事した検視作業と合わせて辛い気持ちで過ごした一週間となり、その後しばらくは被災地の光景をニュースや新聞で見る度に涙があふれてきたりして、「ああ、これがPTSDって奴ね」と思っていましたが、何とか香山リカ先生のお世話になる事もなく改善に向かっています。
この経験はそれまで普段何気なく送ってきた生活をすごく幸せに感じたり、仕事などのことで一喜一憂することが何とも些細に感じたり、物事を今までよりもう少し大きな尺度で見つめたりと、言葉で詳細に説明することはとても難しいのですが、以降の自分の価値観や人生観に少なからず大きな影響を与えているように感じます。
一方で同行したメンバーは歯科医師としてはいろいろな環境の6人でした。年齢もさまざまでしたし、すでにリタイアされた方、現役バリバリの方、以前からのお知り合いや初めてお会いする方、まさに混成部隊でした。寝食を共にしたのはわずか一週間でしたが、一生のお付き合いができそうな人々だと感じることになりました。学術関係でお知り合いになった方にももちろんそんな方が多いのですが、それとはまた違って、深く語り合わなくても理解し合える信頼感でしょう。戦争に行った経験はありませんが、戦友というか、帰還兵というか、そんな心境の間柄かもしれません。
実はこのメンバーで今週は忘年会を行う事にしましたが、再会がとても楽しみです。
震災からすでに9カ月が経ちました。訪れた被災地が徐々に復興している光景をメディアで見ると嬉しく感じますが、遠く離れた九州ではその実感も日々薄くなっている事も事実です。復興までまだまだ多くの時間がかかる事はまちがいなく、これからも何かしらわずかでも応援できることがあればと考えています。
今日は第一話ですが、何と言っても東日本大震災のことです。
5月末から6月にかけて一週間宮城県へボランティアに行きました。日本歯科医師会からの身元不明者の検視要請に応じての派遣でした。すでに三カ月近くが経過していたので、散々テレビや新聞で被災地の光景は見ていたはずでしたが、その場に立ってみると棒で頭を殴られたように思考は停止しました。従事した検視作業と合わせて辛い気持ちで過ごした一週間となり、その後しばらくは被災地の光景をニュースや新聞で見る度に涙があふれてきたりして、「ああ、これがPTSDって奴ね」と思っていましたが、何とか香山リカ先生のお世話になる事もなく改善に向かっています。
この経験はそれまで普段何気なく送ってきた生活をすごく幸せに感じたり、仕事などのことで一喜一憂することが何とも些細に感じたり、物事を今までよりもう少し大きな尺度で見つめたりと、言葉で詳細に説明することはとても難しいのですが、以降の自分の価値観や人生観に少なからず大きな影響を与えているように感じます。
一方で同行したメンバーは歯科医師としてはいろいろな環境の6人でした。年齢もさまざまでしたし、すでにリタイアされた方、現役バリバリの方、以前からのお知り合いや初めてお会いする方、まさに混成部隊でした。寝食を共にしたのはわずか一週間でしたが、一生のお付き合いができそうな人々だと感じることになりました。学術関係でお知り合いになった方にももちろんそんな方が多いのですが、それとはまた違って、深く語り合わなくても理解し合える信頼感でしょう。戦争に行った経験はありませんが、戦友というか、帰還兵というか、そんな心境の間柄かもしれません。
実はこのメンバーで今週は忘年会を行う事にしましたが、再会がとても楽しみです。
震災からすでに9カ月が経ちました。訪れた被災地が徐々に復興している光景をメディアで見ると嬉しく感じますが、遠く離れた九州ではその実感も日々薄くなっている事も事実です。復興までまだまだ多くの時間がかかる事はまちがいなく、これからも何かしらわずかでも応援できることがあればと考えています。
by matsudas1933
| 2011-12-25 08:16
| 東日本大震災