2015年 10月 22日
和田金 |
本日午前中、とある方から頂き物をしました。包装に印刷してある「和田金」を見て、急に懐かしさが込み上げてきました。
かれこれ30年以上前の学生時代の話になりますが、大学同級生だった中世吉昭くんの実家があった松阪に遊びに伺ったことがあります。その時に和田金で御馳走になったことを思い出しました。
おそらく開高健の文庫本で聞きかじった「和田金」の和牛を食べたくて、分不相応に御馳走していただいたのだと思います。いまでこそ珍しくはなくなりましたが、「箸でも切れるほど軟らかい牛肉」が宣伝文句だったと思いますが、案内された小部屋で、中居さんが付きっきりで給仕してくれる網焼きとすき焼きを食した後に、二次会はこれまた「和田金と同じ食肉のホルモン屋」にまで行ってはち切れんばかりのお腹になったことを思い出しました。たかだか学生の舌に和田金もスーパーの細切れも判らなかったはずですが、今となっては良い思い出です。
そうそう、和田金の小部屋は襖を10センチ程開けてあったことも思い出しました。なんでも、室内で用いる炭火の一酸化炭素中毒を避けるためだとの中居さんの説明でしたが、中世くんの話では「先日東京歯科大のお偉いさんが酸欠でひっくりかえったらしいよ」なんて話まで昨日のように思い出しました。
思いもかけぬ贈り物で楽しく夕げを過ごすことができ、これまた送り主の皆さんに感謝です。
かれこれ30年以上前の学生時代の話になりますが、大学同級生だった中世吉昭くんの実家があった松阪に遊びに伺ったことがあります。その時に和田金で御馳走になったことを思い出しました。
おそらく開高健の文庫本で聞きかじった「和田金」の和牛を食べたくて、分不相応に御馳走していただいたのだと思います。いまでこそ珍しくはなくなりましたが、「箸でも切れるほど軟らかい牛肉」が宣伝文句だったと思いますが、案内された小部屋で、中居さんが付きっきりで給仕してくれる網焼きとすき焼きを食した後に、二次会はこれまた「和田金と同じ食肉のホルモン屋」にまで行ってはち切れんばかりのお腹になったことを思い出しました。たかだか学生の舌に和田金もスーパーの細切れも判らなかったはずですが、今となっては良い思い出です。
そうそう、和田金の小部屋は襖を10センチ程開けてあったことも思い出しました。なんでも、室内で用いる炭火の一酸化炭素中毒を避けるためだとの中居さんの説明でしたが、中世くんの話では「先日東京歯科大のお偉いさんが酸欠でひっくりかえったらしいよ」なんて話まで昨日のように思い出しました。
思いもかけぬ贈り物で楽しく夕げを過ごすことができ、これまた送り主の皆さんに感謝です。
by matsudas1933
| 2015-10-22 20:52
| 食べ物